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おくだゆか
女性起業コンサルタント
SNS集客×心を掴むライティング
高単価がスルッと売れるモテる書き方
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わたしのこと。

はじめまして!
お教室先生のWEB集客コンサルタント
奥田有香(おくゆか)
です。

月に延べ96人の集まる満席ベビー教室を開催し、2022年からお教室先生の起業コンサルタントとして、お教室の先生のための集客講座を主宰しています。

コンサルタント活動4ヶ月目から月商100万円を超え、そして1年で年商8桁を超えるビジネスに成長。

直接コンサルをした受講生さんはゼロから立ち上げでもパート代の収益を超えられるようになり月商100~520万円の受講生さんもいらっしゃいます。

パン教室先生 月1人集客 ➡ 月53名 月商124万円
親子体操教室 生徒数5名 ➡ 30名で年度スタート3カ月で今年度キャンセル待ち
手形アート教室 月180名集客 20万円達成 
ベビーマッサージ教室 3カ月連続満席 月商26万円達成
ヨガスタジオ 月商520万円達成
洋菓子教室/和菓子教室 コース設計で月商20~30万円達成
ハンドメイド作家 大型商業施設出店、月商25万円達成
教室業+開業集客サポートで安定的に月商50~60万円
教室集客コンサルタント 月商113万円~500万円

そして

新サービス展開や企業さま、行政さまコラボ案件なども舞い込むようになり、はじめは集客にお悩みだった先生方が、どんどん現実が変化して心の底から自分に自信が持てるようになっていきます。

そんな受講生さまたちは、あまりの変わりっぷりに周りの方から

「なぜ、そんなに急に大人気になっちゃったの?」
「なんか最近、すごいね!!」
「なぜ、そんなに楽しそうなの?」

尋ねられるようになります。

そして私自身もSNSの中で踊って笑ってフォロワーの皆さんと交流を楽しみながら、毎日ルンルンで仕事をしているのですが、実はわたし自身は数年前までは何の個性もない、どこにでもいる「THE 普通のお母ちゃん」でした。

そんな私がなぜ、お教室を開業し、なぜ今、お教室集客を仕事にして毎日楽しくインスタグラムで踊って変顔して仕事をしているのか?

生い立ちから話していきますので、お付き合いいただけたら嬉しいです。

目次

いきなり人生のハードモード。子ども時代。

1982年、私は岡山県の田舎町で農家の大きな家の3人娘の次女として生まれました。

子ども時代はとても活発で大自然の中を駆け回る野生児。

だけど、父と祖父以外は女性ばかりの家族で育ったからか、学校に行くと男子が怖くて思うように言葉を発することができず、ずっとうつむいてばかりの私だったので四年生のころからいじめに遭うようになりました。

特に四年生の一年間は学級崩壊していたので、授業がいじめの時間になることがしょっちゅうで、提出したプリントやテストは男子に取り上げられ全て0点をつけられ、集団に囲まれて罵声や嘲笑を浴びせられ、どれだけ泣いてもだれも話しかけてくれないどころか更に馬鹿にされ、なぜか先生が泣いて教室を飛び出していくという光景。

ある日耐えかねて、登校時間に家の押し入れに身を隠したことがあったのですが、学校からの電話で気づいた母にすぐに発見された上に「お母さんを泣かせないで」と逆に母に泣かれてしまい・・・

私は誰にも助けを求めることも許されないんだ。」と絶望し

この校舎の二階の窓から飛び降りたら、楽になれるのだろうか

毎日そう思って窓の外を眺めているような小学生時代でしたが

そんなときに母の友人の家で、教えてもらったクッキーづくりを体験したところからお菓子作りの魅力にとりつかれました。

今から考えると、量りも使わず目分量、使ってる材料もマーガリンなどで、おせじにもこだわりのレシピではなかったのですが、それでも小さな私からすると、「自分でお菓子が作れる」ということが魔法のように感じられ、のめりこむようにお菓子作りに明け暮れました。

自分のお小遣いでレシピ本と材料を買ってはいろんなお菓子を作るようになり、家族や近所に配ってまわるとほめられるのでそれが励みになり、自分への自信を取り戻したのです。

今日から別人になると決めて、自分の人生を生き始めた中学時代

小さな小学校から、その何倍もある大きな中学校に進学するタイミングで

「今日からいじめられっ子の私ではなく、明るい私になる。」
「死ぬくらいだったら、できることを全部やろう。」

と、中学デビューを決意。

とにかく試行錯誤して清潔に身なりを整え、笑顔や挨拶は何度も鏡に向かって練習。


たまたま入学式で席が前後だったのが明るい性格の子だったこともラッキーで、私は晴れて「明るいゆかちゃん」になることができました。

当時、中学校の中でも花型だった吹奏楽部に入り自分でこうなると決めたら、なんにだってなれることを初めて知ったのがこの頃です。

高校に入ってからも、苦しかったあの頃をとりもどすかのように普通科ではなく大好きな料理が学べる調理学科、部活は一度はやってみたかった体操部、中学から頑張り続けていた吹奏楽も続けたいからと一般人の楽団にも入り、朝から晩までやりたいことを片っ端にやっていった青春時代でした。

高校卒業後は、大好きなお菓子作りをしてられるという理由でパティシエに。

パティシエの仕事は天職だと思えるほどに楽しく、毎日がパラダイスに感じていました。

それでもただ大好きなだけで飛び込んだ私にとって洋菓子職人の世界は厳しく、1年も経たないうちに体が激務に耐えきれず、体調を崩したのをきっかけに退職。

働かないわけにもいかないので、たまたま求人があった近所の保育園で給食の先生をやることになったのです。

お給料は低いけど料理は得意だし、子供たちは喜んでくれる。

それで満足していたけれども、毎日楽しそうにしている先生たちを見て、保育士の仕事への憧れも大きくなっていました。

私はやればできるんだ!が二度目の確信に変わった保育士試験

毎日、保育園で子ども達の食事を作りながら、率先してクラスルームに行って保育士さんの手伝いをする。

そうしていくうちに「どうにかして私も保育士になれないだろうか?」と思うようになりました。

ユーキャンの通信講座の資料請求をしてみたり、通信大学に15万円支払って入学してみたりもしましたが、レポートが難しすぎるのと、実習やスクーリングに行くための休暇が取れずにすぐに退学。

ある日、書店で保育士の職業についての本を見つけ立ち読みすると、高卒でも保育園で2年の勤務経験があったら国家試験の受験資格が与えられる。という文面が目に飛び込んできました。

どこの学校でも無理なのなら、自分で国試を受ければいい!ということを知り、気がつけば、岡山県内にある書店という書店をすべて巡り保育士試験の参考書を全種類買いあさっていたのでした。

毎朝5時に起きて机に向かい、仕事の休憩時間も参考書とにらめっこ。職場で園長先生につけられたあだ名は「平成の二宮金次郎」

風呂の中でも参考書を読み、家のトイレの壁は、法律の文献や子どもの疾病やワクチンの一覧表で埋め尽くされていました。

保育士試験は1回目で2科目落としてしまいましたが2年目で全科目合格

晴れて、その翌年から同じ保育園で保育士として働くことになったのです。

保育士としての仕事は本当に天職と言ってもいいくらい、寝ても覚めても子ども達のことや仕事のことを考えていて、毎日がやりがいと満足感に満ちあふれていました。

この頃の私は、「自分は何をやっても上手くいく」という根拠のない自信がどんどんついていきました。

高校卒業後からずっと関わってきた体操競技の審判員活動もどんどんキャリアを積み重ねていき、ついには東京の体育大学で試験を受けて、全国大会レベルの審判資格も取得。県外に派遣されて審判活動にあけくれました。

保育士の仕事

体操競技の審判活動

吹奏楽団での活動

何足もわらじを履いていて、スケジュール帳は常にびっしり。それがまた楽しくて楽しくて、私という人間のエネルギーをこれでもかというほど爆発させていた時期だと思っています。

不思議な夫との出会いと結婚

私はmixiというSNSで日記をつけるのが趣味で、いつも自分の思っていること、楽しかったこと、大好きなこと、辛かったこと。色んなことを発信していました。

その時に、“お友達のお友達”としてやりとりをするようになった男性がいて、あるとき、社会人体操の試合で実際に対面することになります。それが後に、今の夫となるのです。

「ゆかさんのmixiの日記を読むのが凄く好きなんだ。文章がとても面白いから。読んでるうちに好きになってしまったんです。」と後から聞きました。

不思議なことに、私が初めてSNSから集客したのは「ダンナ」だったのです。

結婚後ある日突然、夫に言われた一言。「起業したら?」

同じスポーツつながりでmixiを通して仲良くなった私たちは、関東↔岡山という遠距離恋愛の期間を経て、結婚することになります。

そして二人の子どもに恵まれて、毎日おだやかな日々を過ごすようになりました。

大好きな男性と結婚して、可愛い子ども達にも恵まれている。

あ~なんて私って幸せなんだろう。

そうやって過ごしていたある日、私に対して夫が言ってきたのです。

「ね、起業とかしてみたら?」

夫自身はごく普通のサラリーマンなのですが、夫の父は自分で会社を立ち上げて事業を切り盛りしており、夫の母も、得意な洋裁を活かしてのオーダー販売と大好きな鳥の飼育でブリーダーの仕事もしていました。

夫からすると、「起業」というものは全く珍しいものではなく、むしろ、家族と一緒にいながら、新しいことにチャレンジでき、収入の可能性がある。将来性があることなどを知っていて、そして、

「ゆかちゃんなら、多才だし、絶対うまくいくよ。」と言ってくれたのです。

お勤め至上主義の私からすると当時生まれたばかりの次男は1歳にもなっておらず、「冗談も休み休み言ってくれ。」と思ったのですが、子育てだけをやって一生終えるのも勿体ないと思い“自分の得意なことでできる仕事”を探すことにしたのです。

最初に取り組んだのはアロマの教室

自分の得意なことで仕事・・・と言っても、何をやったらいいのか?保育士向けのサービス?なんだろう?などと考える毎日。

とにかく会社に勤めることしかしてこなかった私は「好きな事や得意なことでお金を稼ぐ」ということは、世の中のものすごい、ひとにぎりの才能のある人にしかできないと思い込んでいて、そもそも一体、何から手を付けて良いのかさえわかっていませんでした。

そうしているうちに、たまたま子育てサークルで出会ったママに、一緒に仕事をしないかと誘われました。

その仕事というのは、アロマの販売の仕事で、販売するためにワークショップを開くという話でした。

とにかく誘ってくれたママが可愛くて明るくて、「この人と仲良くなりたい!」と思った私は二つ返事でOK。

夫に「そんなカンタンに決めていいの?」と言われましたが、もう自分の中ではやる気満々。どんどん勉強会に参加して、資格を取得して、ルンルンでスタートしました。

お客さんって勝手に集まってくる物じゃないんだ。

さっそくママ友の言うように、ワークショップのチラシを作ったり、企画を練ったりしました。

お教室のときもあれば、施術体験会のこともあり、お茶会もあり、企画を考えるのはとても楽しかったです。

でも問題は集客。ママ友は「会を開くだけじゃなくて、お客さんを集めないといけないんだよ。」と、会を開くことだけにルンルンしている私に対して教えてくれました。とにかく私も誰か人を呼ばないといけないんだ、ということにようやく気づいたのです。

私の友人といっても、田舎から横浜に引っ越してきてまだ2年。産婦人科の母親教室が一緒だった知り合いが一人しかおらず、集客するにはポスターを貼ってもらったり、チラシを作って駅前で配るしかありませんでした。

資格が足りないからかもしれない・・・と資格を取りまくり、ついにはアロマや健康系の資格を9コも取得それでも集客できたのは0人でそれでもなんとかお教室が開催できていたのは、ママ友が子育てサークルでナンパしてきたママさんたちが来ているからでした。

1年ほど頑張った頃に、ママ友は引っ越すことになり、離れていても応援してるね!と一言残して、あっさりと去って行きました。彼女と一緒にやることが楽しかった私には一人でやるほどの情熱はなく、のらりくらりと惰性で続けました。

これならできる!やりたい!赤ちゃん教室の仕事

ママ友が引っ越して言った後、しばらくは頑張って続けていたアロマの仕事もだんだんやる気がなくなっていき、夫からは「教室のために買った材料や、資格を取ったときの投資額がもったいない。」とも言われました。

そうやってどんどんやる気も希望もなくなってきた頃、近所のショッピングモールにあるカフェで、赤ちゃんの手形と足形をアートにするお教室があると知り、ただの暇つぶしのつもりで遊びに行きました。

そのお教室の先生は、芸能人で言うと“菜々緒”のようなクールな美人で、ママ向けのお教室先生とはちょっと似つかわしくない雰囲気の「デキる感じの女性」でした。

だけど、そのお教室は大人気。

親子連れが沢山集まっていて、みんなでワイワイと盛り上がり、どんな作品を作ろうかな、ステキな作品ができた!などと、参加者同士で会話が盛り上がっていて、そこから連絡先を交換し合うような参加者同士のつながりも出来ていました。

こんな場所を私もやりたい!と直感で感じたのと同時に、保育士経験のある私なら、もっとアットホームなお教室ができそう!と思ったのがきっかけです。

こんなにステキなお教室なのになぜ人が来ないの?

私ならできる!と思ったときにはインターネットで手形アート教室の協会を検索し、すぐに申込みをして資格を取得しました。

自分で言うのもなんだけど、私が最初に行ったお教室よりもぜったいステキなお教室になる!ぜったい私の方がステキな先生になれるに違いない!!

そう思いながら勉強し、作品を作り、資格取得したときに教えてもらったように、インスタグラムのアカウントも作成して投稿を頑張りました。

だけど、どれだけ投稿しても、どれだけやってもお申し込みはこず、毎月会場のコミュニティセンターに荷物を持っていっては、誰も来ないお教室の部屋でインスタ用の写真を撮影する日々。

同じ時間帯に、隣の部屋でベビーマッサージだとかリトミックのお教室もやっていて、たくさんの赤ちゃんとお母さん達でにぎわっています。

「なんで隣の部屋には赤ちゃんでいっぱいなのに、私のお教室には誰も来ないの?」

疑問に思いながら、それでも辞めるという選択肢も無く続けていました。

半年過ぎた頃から、さすがに心も折れるようになってきて、誰も居ないがらんとしたお教室で製作準備をしながら、隣の部屋から聞こえてくる赤ちゃんの泣き声や、部屋のドアの向こうを通り過ぎるベビーカーの影を見て、涙で視界がにじんで手元が見えなくなって。

そこまでコテンパンになっても、私には諦めるという選択肢はありませんでした。

お金がないけど頑張りたい。バイトをしてでもやる。

どうやったら私のお教室はうまくいくの?

どうしたらいいの?

毎日毎日、堂々巡り。

そんなある日、私が初めて息子を連れてお教室に参加した先生のFacebookで

「お教室は引退して、集客を教える仕事を始めます。」という投稿が目にとまりました。

「そうか!この人に聞けばわかるんだ!」

一年経ってようやく気づき、すぐにメッセージを送りました。
先生は快く集客を教えて下さるとのことでしたが、1つ問題がありました。

「自由に使えるお金が・・・残ってない。」

当時わたしは自分の結婚前の預金通帳も夫に管理を頼んでおり、一旦アロマの仕事をするときに啖呵を切ってやったくせに投げ出した経緯があること。それが負い目になって、集客を学びたいとは言えませんでした。

そうなったら、お金は自分で作るしかない。だけど住んでるエリアは保育園激戦区。預かり先なんて無い。

それならと考え、毎週土曜日だけ夫に子ども達の世話を頼んで、保育士のパートに出ることにしたのです。

そこで稼いだ週一バイトのお金は、そのままコンサルの受講費につぎ込みました。それくらい、お教室の仕事を諦められなかったのです。

どんどん満席になるお教室

コンサルの先生に集客を教えてもらうようになると、たくさん宿題やタスクが課せられました。

機械操作が苦手だったり、スマホは電話とメールが出来ればなんだって良いくらい電子機器に無関心だった私は最初、本当に苦労しました。

だけど、やることが本当に明確になり、一つ一つ取り組む毎に本当にインターネット上からお申し込みが入るようになったのです。

そして、誰も来ない頃のお教室では500円の参加費でスタートからまさかの4000円に値上げしても喜んで参加してもらえるようになり、お教室の存在も次から次へと口コミで広がり、お客さまが友だちを呼んでくる、そんなミラクルを味わいました。

満席のお教室を何度も作れるようになり、単価もどんどん上げて、最高額で数万円のメニューも作り、お教室に来て下さるお客さまからの要望を取り入れて商品を作り変えるごとに

月5万円だったところから10万円、30万円、そして最高60万円を超えて売り上げられるようになりました。

1年先までも予約が入るようになり、

「先生の作品が大好きです!」
「先生のおかげで良い成長記録が残せました!」
「一生の宝物です!」
「先生に会いに来ました!」

そんなふうにも言ってもらえるようになりました。

集客を教えてと言われるようになる

お教室での仕事がとにかく楽しくてしょうが無くなった頃、色々な人から集客や教室運営について尋ねられるようになりました。

最初に聞かれたのは、長男の同級生のお母さん。刺繍のお教室を立ち上げたいとのことでした。

私に教えられることなんてあるのだろうかと思いながらも、自分で出来ることであればと思いお教室の立ち上げ方、運営の仕方、SNSの使い方など。とにかく自分に出来ることは全てお伝えしました。

そうするとある日、彼女から「ネットからお申し込みが来ました!!!」というご報告が舞い込んだのです。

しかも、お教室の体験に来たお客さまが「ブログを読んで前からファンだったんです。」と言ってプレゼントを持ってこられたり、いきなり10ヶ月のコースが売れたりと、驚くような変化を生み出されたのです。

数字や売上がどうとかというより、大好きなことをしている人と同じものを大好きだと思っている人を結び付けることが集客って言うんだ。これってすごく素晴らしい仕事なんだということを確信した瞬間です。

好きや経験が人のお役に立てるという働き方

そこからお教室の立ち上げ方や運営の仕方、集客を教えるということがとにかく楽しくなりました。

もっと出来るようになりたいと思い、お教室先生のための集客コンサルとしての学びを重ね、2022年5月からお教室集客コンサルの「おくゆか」として活動をスタート。

コンサルの仕事は収入が大きくなったことは喜ばしいことでしたが、とにかく自分が集客をしながら、お客さまも集客できるようにすること、そしてそのために学び続けること。この3つを常に続けていくことは生半可ではありませんでした。やればやるほど、次々と苦手なことにぶつかるのです。

それは機械操作だったり

インスタライブのように人前で話すことだったり

セミナーを開催することだったり。

次から次へと苦手なことにぶち当たり、何度となく愚痴をばらまきまくったり、ぴぃぴぃと泣いたこともありますし、もうなにもやりたくないと放棄して現実逃避したこともあります。

だけども、最初はあんなに悩んで私の元に相談してこられた先生が努力を積み重ね、自分と向き合い、一つ一つ乗り越えるごとにどんどん変化する様子を目の当たりにすること。

その先にたくさんの生徒さんに囲まれるようになったまぶしい姿や自信をもって仕事に取り組まれる姿を見ていると、今までに感じたことがないような震えるような感動だったり達成感や満足感で胸の中がいっぱいになり、私自身もチャレンジする背中を見せられる自分になりたいと突き動かされています。

私は何にだってなれるんだ。

「好き」と「好き」のご縁を作る仕事を始めて4ヶ月目に、まさかの月商7桁を達成することができ、努力すればするほど結果が実り、お教室集客を教えるようになって2年ほどで、最高月商が750万円、年収は8桁にのぼるようになりました。

夢にまで見た、生きがいと、やりがい、時間とお金の自由も手に入り・・・

私一人が幸せになるのではなく、私と縁してくださった先生方は一人残らず変化が生まれ

理想の働き方を叶えられている。そんな循環を作る事ができているのが心の底から幸せです。

今がどんな状況であったとしても “なりたい自分” さえ決めてしまえば。

はっきりと行きたい未来を思い描いて、そこに向けて一歩一歩踏み出していけば必ず届くことを私は身をもって知っています。

決めれば、どんなものにでもなれるんです。

私の元に集まって下さるお教室の先生は本当に笑顔お人柄も素敵で、お教室やこの仕事への愛情もとても高い方ばかりです。

そんな素晴らしい先生達がもっと笑顔になれるように、もっとこの素晴らしい先生たちが自分の存在を世の中に広められるようになってほしい。

そういう希望をこめて“ハナサク教室”という講座を作り、ひとりでも多くの先生のお花を咲かせる手伝いができますようにと日々活動しています。


最後まで読んで頂きありがとうございました^^


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この記事を書いた人

お教室先生のための起業ラボ
SNS×Web集客専門家
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